通州事件 文芸春秋の記事(抜粋)



(略)次の一篇は、通州事変直後文芸春秋社の特派員武島義三氏が現地で開いた座談会中、通州生き残りの邦人森脇氏と広田氏(注:竹原氏?)の話した一節である。
             (話、10月特別号より)

  糞壺の中に隠れて助かる

竹原(注:広田?)
 僕の家は○○館と背中合わせの支那家屋で、塀の中には僕が1人だけ日本人なのです。三間房子を借りていましたが、一番塀寄りの部屋を便所にしていたのです。甚だ尾籠(びろう)な話ですが、僕は痔が悪いので便所が長く、この塀の中に共同用のものがあるのですが支那人が使って不潔なので、わざわざ1部屋を掘り下げて縦5
尺、幅3尺、深さ4尺くらいの穴を掘って3年くらい換えなくてもいい様な大きなのをこしらえ、これに枕木を左右2本ずつ並べて、中央に5寸くらいの空きを作って用を便する様な作りになっていたのです。部屋より便所の方が綺麗だと言われたくらいです。
 銃声を聞いて目を覚ました時、裏の○○館に女の悲鳴や断末魔の叫びが聞こえ、器物を破壊する音が「日本人は皆殺しだ」という言葉の間から漏れるのです。29軍だとすぐ思いました。保安隊だなどとは少しも思わなかったのです。逃げなくてはいけないと思いましたが、さてどこに逃げて良いやら分からないのです。速く速く、自分で自分を急き立てましたが、どうも適当な場所がないのです。するとふと僕の頭をかすめたのは、僕の友人がかつて満州の吉敦(きっとん)線で匪賊の襲撃に遭っ
て列車は転覆されたのです。その時、便所に逃げて助かったことを思い出しましたので、外へ出るのは危険だと思って直ぐポプリンのパジャマを着たまま拳銃とがま口を持って便所に行き、枕木を2本上げてさっと中に入り、足場をよくしてそっとしゃがみました。ここでちょっとお断りしておきますが、クソ壺ではありますが未だ3か月分にしかならないのです。人間1人の3か月分の排泄量をこんな大きな穴に入れてあるのですから、足をクソの中につける様な事はないのです。
 すると直ぐ15~16名くらいの暴漢がものすごい叫びをあげて塀の中に入って来ました。「日本人在那兒」(日本人はどこにいるか)と言うのです。誰も答えません。すると誰かが知っているらしく、僕の家に飛び込んでガラガラ家財道具をひっくり返しながら探していまし
たが、そのうち外に出て他の5軒の支那人の家を起こして、いちいち中に入って調べました。「那兒去了麼」(どこへ行ったか)と聞くと「不知道」(知らん)と答えるばかりです。そのうちに便所のドアーを開けましたが「厠房子」(便所だ)と言って中を探りもしないで散々目ぼしい物をあさって出て行きました。やれやれ助かった、と思うと「失了火了」(火事だっ)と言うのです。この声に塀の中の支那人たちも隣の火事を黙っていられないとばかりにそれぞれの家から水を持って来てジアジアかけていました。暴漢が押し込んだ時、机の上の洋灯を倒したのでしょう。火事は消えたのでじっとしていると、今度は軽機関銃の音が遠くに激しく聞こえるのです。
 このままクソ壺の中にいたのでは外部との連絡は取れ
ないし、このまま死んではウンの尽きだ(笑声)と思って、どこか逃れる場所を考えたのです。すると僕らの塀と隣の支那家屋との間に幅2尺くらいの隙があるのです。いつか塀の中でキャッチボールをした時に、ボールを探しに入ったことがあるのです。そうだ、あそこがいい、と思うと、外部の様子をうかがって、そっと枕木を押し上げて飛び出し、外に出ていきなり足場もない塀に爪を立てて駆け登り、無事中に入りました。ここなら大丈夫だと思ってコーリャンの茎などを敷いて座ったのです。今度はだいぶ楽です。体を伸ばすこともできれば、呼吸も十分にできるのですから。
 銃弾の音はなおしきりだったのですが、いくらか心にゆとりができて、拳銃を出し弾丸の勘定をしたりしました。挿弾子に8個あったのです。いざという時は7発撃
ちまくって残りの1発を自分の頭に撃ち込んでやるんだと独り言を言いました。
 それから何時間経ったか分かりませんが、空に飛行機の爆音を聞きました。29軍が襲撃して中央軍の爆撃機の空爆かと思ったのです。ところがなんと嬉しいことには、日の丸をくっきり描いた日本軍の飛行機です。僕はその時声を立てられなかったが、2~3回跳ね上がりました。大丈夫、助かる、と、その時初めて思いました。そうなると急に命が惜しくなって、キチンと地上に端座して般若心経を口ずさみました。ところが後の飛行機も来ないのです。
 だんだん空は暗くなり夜のとばりが降りて来ると、西門方向の銃声は一層繁しくなりました。今夜はここで籠城だと思うととても淋しくなって、機械的に般若心経を
暗唱しました。何百回繰り返したか分かりません。
 真っ暗になってから、逃れられたらこの機にと思って塀を登り隣の屋根を這って2棟ほど先に進んでみましたが、闇の中にも○○君の家の狼藉の跡と転がっている死体が見える様なのです。そう思うとたまらなく体に震えが来て、拳銃を握って這う手が屋根に当たってガタガタと小さい音を立てるのです。それから急いでまた、元の巣に戻ってホッとしました。
 やられたな、血の臭いがした。夏の夜は短いとは誰も言うが、そんなことは嘘だ。この時ほど夜明けの長いことはなかった。夜が明けきってから銃声は時々するくらいに途絶えた時、○○館の方にカツカツという足音と「ここにもやられている」という力強い凛とした軍人らしい日本語が聞こえました。そら、日本軍だ、と思うと
反射的に塀を駆け登って屋根を走り、○○庭に飛び降りて救われたのです。僕の場合は襲来が早かったから、森脇さんの様に奥さんを持っていたらとても駄目だったですね。

出典
 国立国会図書館デジタルコレクション
 豊橋連隊区管内 出征将士事蹟編纂会発行 日支事変と我等の郷土 第1輯(蘆溝橋事件より大山大尉遭難事件まで)(66コマ、67コマ)

本記事は、文芸春秋からの転載ではなく、文芸春秋10月特別号の記事を転載した書籍からの転載です。

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出典 警察庁 BEIZ images
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出典 陸上自衛隊 海上自衛隊 航空自衛隊
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